湊部屋の紹介
親方あいさつ
湊部屋のホームページをご覧いただき、ありがとうございます。
湊部屋 師匠 湊 孝行でございます。
師匠として、強い力士を育てることは何よりの使命です。
しかしながらそれ以前に、何時もおごることなく、皆さまに心から応援していただける力士、愛される力士を育てて参りたいと思っております。
辛い稽古を乗り越えることで、心身を鍛錬し、誰よりも稽古をしたという自信が本場所での結果につながると信じております。
私自身も、常に自分を顧みて、日々研鑽を積んで参りたく存じます。
引き続きご支援ご声援のほど、何卒宜しくお願い申し上げます。
湊部屋おかみ
いつもお支えいただき、ありがとうございます。
私は、たとえ同じ年齢・同じ時期の入門であったとしても、それまでの性格や経験が違うように、各々の出来ること・目標は異なると思っております。
個性を大切にしつつも、感謝の気持ちを忘れることなく、自律した社会に順応できる人間を育てて参りたいと思います。
誰もが親御さまに大事に育てていただいた大切な子供達です。
出会いに感謝し、母として苦しみも喜びも共有しつつ、心に寄り添いながら成長を見守って参りたく存じます。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
湊部屋の歴史
1981年
5月場所に現役を引退して時津風部屋の部屋付き親方となっていた年寄・22代湊(元小結・豊山)が、1982年12月に内弟子2人を連れて時津風部屋から分家独立する形で部屋を創設。
埼玉県に創設された部屋としては戦後初となる相撲部屋である。
22代は幕内力士として湊富士を育て上げる。
2002年
湊富士は9月場所で現役を引退し、年寄・16代立田川を襲名して部屋付き親方となる。
2010年
7月27日に22代と年寄名跡を交換する形で23代湊を襲名して部屋を継承。
翌28日に仲の国の新十両昇進が決定し、史上2人目となる関取が誕生。
2014年
5月場所において逸ノ城が新十両へ昇進。3人目となる関取が誕生。
11月場所において逸ノ城は新関脇に昇進し、部屋史上初の三役力士となった。
2017年
12月18日付で、これまで所属していた時津風一門を錣山部屋とともに離脱。
2018年 9月21日付けで、二所ノ関一門となる。